望月達也の出身高校

望月達也 プロサッカー選手

望月 達也(もちづき たつや、1963年4月20日 - )は、静岡県出身の元サッカー選手・指導者。

清水東高校時代は伝説的なテクニシャンとして知られ、当時のサッカー小僧達のアイドルだった。

清水東3年時の高校選手権、FW沢入重雄やMF反町康治らと共にエースとして活躍したが準優勝に終わる。

当時の高校選抜のメンバーとしてヨーロッパ遠征に参加した際、オランダサッカー協会コーチであったハンス・オフトに見初められる。卒業後の1982年6月にオランダに渡り、同年7月にエールディビジ1部のHFCハーレムにアマチュア契約で入団。トップチームのリーグ戦に3試合出場した。1986年に同2部のストルムフォーヘルス・テルスターとプロ契約を結ぶ。日本人では奥寺康彦、尾崎加寿夫、風間八宏に次いで4人目の欧州プロ選手となった。

1986年、5シーズンを過ごしたオランダを離れ、日本へ帰国。ヤマハ発動機サッカー部(現・ジュビロ磐田)に入団。期待されるも、故障などでMFとして目立った活躍は出来ず、晩年にはSBとしてプレーし、1990年、27歳で現役引退。

27歳で引退後、2001年までヤマハ/磐田に、2002年-2003年にはアビスパ福岡に所属し、主に下部組織のコーチ・監督を務める。2004年からは湘南ベルマーレに移り、2005年はトップチームコーチ。2006年にはベガルタ仙台に移り、トップチームのヘッドコーチを務める一方、サテライトチームの監督も務めた。

トップチームでは監督代行を務めることが多く、2002年以降に所属した全てのチームで監督代行を務めた。福岡・湘南では後任監督の人選が難航したことから、代行期間は合わせて3ヶ月近くに及んだ。また、仙台では監督のジョエル・サンタナの体調不良に伴う欠場により、1試合の代行を務めた。このため、代行だけでJリーグのリーグ戦の指揮を計15試合執っている(成績は5勝7敗3分け)。

2006年の仙台は後半の失速でJ1昇格を逃したが、紅白戦とシュート練習がほとんどのサンタナの練習に対し、部分的な場面想定を重視する望月の練習は選手からも概ね好意的に受け取られていた。こうしたチーム内の評判もあって、クラブは当初続投の方向だったサンタナを同年シーズン終了を以って解任。2007年、サンタナの後任として監督に昇格。終盤までチームを昇格争いに絡ませたものの、最終順位は4位。惜しくもJ1昇格に導くことは出来なかった。シーズン終了後、チームをJ1に昇格させられなかった責任から退任。退任後の2008年、フロントからの要請もあり「クラブスタッフ」としてクラブに残留。スカウト活動をはじめ、スポンサー周り、下部組織の指導・支援などを行い、現場の外からチーム強化に携わったが同年終了を以って退団。

2009年4月、清水エスパルス強化育成本部本部長・強化部部長に就任し、2011年シーズン終了まで務めた。

2012年、川崎フロンターレのトップチームコーチに就任(同年4月には監督代行を務め、その間、リーグ戦2試合並びにナビスコ杯1試合を指揮)。2014年シーズン終了を以って契約満了により退任。

2015年、ヴァンフォーレ甲府のヘッドコーチに就任。

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性別
男性
生年月日
1963年4月20日生まれ

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